幕末維新期の小藩主なので、生没年も分かりづらいですよね。分かっている範囲をお伝えします。
📜 生年と没年
生年
- 有馬氏弘は、嘉永4年生まれとされます。
- 西暦ではおおむね「1850年前後」として扱われています。
摂津有馬氏(西条藩)の系譜をまとめたサイトでも、生年「1850年」と記載されています。(reichsarchiv.jp)
また、吹上藩有馬家を扱う研究・調査記事では、旗本有馬則篤の次男として「嘉永4年(1851年)」生まれとする記述もあり、具体的な和暦では嘉永4年説が有力です。(access21-co.xsrv.jp)
つまり、史料や研究者によって「1850年」と「嘉永4年(1851年)」のずれがありますが、嘉永4年生まれという理解が現在の有力説です。
没年
- 伝記類や人名辞典では、長らく「没年不詳」とされてきました。(kotobank.jp)
- しかし、近年の調査で、子孫家が所蔵する戸籍資料などから、
大正3年(1914年)4月に、福島県安積郡山野井村高倉で死亡したことを示す届出があると報告されています。(access21-co.xsrv.jp)
そのため、現在入手できる情報を総合すると、
有馬氏弘の生没年は「嘉永4年ごろ生まれ(1850〜1851年)― 大正3年4月没(1914年)」
とみなすのが最も妥当と考えられます。
👉 もう少し詳しく年表なども整理できますが、
- 吹上藩主としての経歴や事件の流れ
- 晩年の暮らしぶりや子孫について
有馬氏弘の出生地はどこですか?
出生地まで気になってくると、その人の人生がぐっと近く感じられますよね。
📍 出生地について
現在確認できるオンラインの日本語資料やデータベースでは、
有馬氏弘の「出生地(どこで生まれたか)」を明記した史料・記述は見つかっていません。
先ほどお伝えしたように、氏弘については
- 生年は嘉永年間(おおよそ嘉永4年ごろ)
- 幕末期に旗本家から下野吹上藩主となる人物
といった点までは、近年の研究記事や系譜紹介で触れられていますが、出生地を「○○国○○」や「○○藩江戸屋敷」などと具体的に書いたものは、公開情報の範囲では確認できません。
吹上藩有馬家を扱った調査・論考でも、生年や没年、移住先村落などは詳しく追跡されている一方で、「どこで生まれたか」には触れていないケースがほとんどです。(ndlsearch.ndl.go.jp)
このため、現時点では、ウェブ上でアクセスできる一般資料だけから氏弘の出生地を特定することは難しい状況です。
🔍 さらに追うなら
もし本格的に出生地を突き止めたい場合は、次のような一次史料の確認が必要になります。
- 有馬家の家譜、分限帳、宗門改帳など、幕末期の原史料
- 氏弘や父の旗本時代の「奉公人調」「人別帳」などを所蔵している公文書館
- 国立国会図書館や関係自治体の公文書館にある吹上藩関係資料の現物調査
こうした資料は、館内閲覧やレファレンス相談を通して少しずつ確認していく形になります。
郡山市に問い合わせたところ、有馬氏弘の情報は無いとのことです。
但し住所から推測してそこで没したと仮定すると、
龍角寺(堀之内村)、西泉寺(早稲原村)、慈眼寺(長橋村)福田寺(前田沢村)、
満昌寺(上伊豆島村)、慈恩寺(安子島村)の、何れかに埋葬されたのではないかとのこと。
お墓があるかはわかりませんが・・。一番近いのは慈眼寺とのこと。
わかるのは以上とのことです。
今日の午後は情報頂いたお寺の電話を用意したリスト(5件)を持参して、社会福祉協議会手話通訳派遣事務所へ行って来ました。
慈恩寺(安子島村)と西泉寺(早稲原村)は情報なしとのことです。龍角寺(堀之内村)は留守のようです。
福田寺(前田沢村)はFAX番号がありますので、後でFAXで照会するつもりでいます。
没した住所から一番近いところは慈眼寺です。「有馬氏弘」という名前があったようですが、外出中の為に確認するとのことです。「わかり次第、自宅へFAXを送ります。」と言っておりました。
または、郡山市役所へ連絡が取れて、話が進むことが出来ました。帰ってから、改めて、歴史のコピーと有馬氏弘の戸籍1通を添付して、FAXを送信しました。その結果を待つしかないです。
華族家記という薄冊の表紙には有馬氏弘の字跡があるようで判ります。有馬氏弘の戸籍にこの筆跡がありますので、一致しているようで嬉しい気分です。姉から祖母のことを聞いています。祖母は「光る君へ」という大河ドラマでイメージした筆でスラスラと書けている姿を見て、この刺激を受けた動機でお習字を学び始めたという話です。
慈眼寺に名前があったのですか!
結果が判明するまでわかりませんが、もうすぐ努力が実りそうですね。
昔の筆文字は自分も素敵だと思いますが、読む事が出来ないのが悔しいところ。
活字であれば漢文もある程度は読めるのですケド。
とにかくあと一歩のようですので、頑張って下さい。陰ながら応援しています!
慈眼寺(長橋村)からFAXにて返信があった結果は、総代長、前代長と共に慈眼寺境内を確認いたしましたが、氏弘様の墓地は確認出来ませんでしたとのことです。慈眼寺と福田寺(前田沢村)のFAX番号は同じだったようです。再度過去帳の確認をとりましたが、有馬家と氏弘様の墓地は福田寺、慈眼寺共に確認出来ず、檀家様であった形跡もございませんでしたとの回答がありましたので、がっかりしています。
長橋は立地上、他の寺院様の檀家様である方が多くおりますとのことですが、TELとFAXと地理が詳しくないので悩んでいます。
郡山市役所環境部環境政策課総務管理係からのFAXから返信がありました。郡山市が運営しております郡山市東山霊園の氏弘様のご遺骨の埋蔵は確認できませんでした。その他に判明した点等がありましたら、ご連絡差し上げたいと思いますとのこと、協力して頂けると何か情報があれば、何か発見出来れば、助かります。
満昌寺(上伊豆島村)のネットで調べても、TELとFAXの番号が分からないです。
龍角寺(堀之内村)にFAXを2回目送信しても、返信が来ない状態です。有馬氏弘は郡山市史によると下伊豆島小学校の校長先生だった模様とのこと、下伊豆島の近くにある龍角寺の縁があるのではないかと思います。
郡山市立喜久田小学校の沿革史のネットで調べてみると、
明治7年、堀之内龍角寺に堀之内小学校として開設(1874.6.21)
明治9年、早稲原村、下伊豆島村に両出張校開設
明治11年、下伊豆島村出張校分離(下伊豆島村小学校設置)
有馬氏弘の戸籍を改めて確認しましたところ、明治8年3月1日 相績(ソウゾク)と記載してありますが、疑問を持っています。除籍されたのは明治9年ですが、矛盾点があるように感じています。多分除籍する前は安積郡へ行く計画性ではないかと思います。
明治11年2月の時点での住所は、麻布東鳥居坂町一番地となっていますとのことですが、
・福島県安積郡山野井村高倉字封〇面〇番地未定
・福島県安積郡前澤村字〇面原番地未定
・安積郡丸守村大字長稿字館92番地
上記の住所は下伊豆島村小学校の周辺だようですが、引っ越ししたようです。残念ながら引越しした年月日は明らかになっていませんでした。
郡山市役所環境部環境政策課総務管理係と龍角寺からの返信が待つしかないです。
氏弘の墓所を探すのが思ったより難解のようですが、大器は晩く成りたいと思っています。
市営の霊園で埋蔵確認されていないのでしたら、市役所の方は望み薄のようですね。
満昌寺は現在上伊豆島村に無いようです。
廃寺となったかどこかの寺と合併したかもしれません。
上伊豆島村には現在大きな工場となっていますので、最悪建設の際に失われた可能性もあります。
龍角寺は広い墓地があるようですので、仮に埋葬場所であれば見つかりそうですね。
信仰していた宗派が判れば良いのですが難しいですかね?キリスト教や教派神道に傾向していたとなれば、また話は変わってきます。
[大器は晩く成りたい]の精神は重要ですので、焦らずに頑張って下さい。
有馬氏弘の墓所を探している中、激励のお言葉が励みになりました。
ありがとうございます。龍角寺からFAXが待ち遠しいでした。やっと届きました。
この結果は、「お問い合わせの件ですが、お調べましたが、該当する方のお名前は見つかりませんでした。」という内容です。下伊豆島小学校によると龍角寺の縁は全く期待外れだった。吹上藩にある正仙寺へ車で行く計画はネットで調べながら、有馬氏弘の名前をいうことを目に留まりました。
「江戸時代に入ると、松平定信の寛政改革により、下野国には真岡・藤岡・吹上の三ヶ所に陣屋が設置され、農民の復興にあたった。寛政五年(1793)、吹上の陣屋は吹上城跡に寺として位置づけられた。 その後、明治四年(1871)の廃藩置県により、吹上藩は吹上県となるが、まもなく廃県となった。墓地には有馬氏弘嫡男をはじめ多くの藩士たちの無縁墓碑が残っている。」
有馬氏弘は無縁墓碑が残っているとのことですが、疑問を持つようになったことを感じました。
安積郡にいる有馬氏弘が死ぬ前は「多くの藩士たちの仲間の墓地を入れたい」という希望が出たのではないだろうかと想像していますが、とりあえず、社会福祉協議会手話通訳派遣事務所へ行って正仙寺に照会するつもりでいます。
正仙寺は例の家老を殺害した藩士らの墓がある筈。
事件の真相はもちろん不明ですが、彼ら藩士は氏弘派であると思われますので、
あり得ない話ではありません。
「有馬氏弘嫡男」というのは「有馬氏弘の嫡男」?夭折したと思われる長男「猛」の事かもです。
もちろん「有馬氏弘と嫡男」かもしれませんし、確かめるべき価値はあるでしょうし、
「猛」の墓だけでも発見できるかもですので、非常に期待したいところです。
有馬氏弘の戸籍謄本に記載している住所の周辺のお寺に葬られる可能かと思って、5件のお寺に問い合わせた結果は、氏弘の墓所が見つかりませんでした。亡き義兄(聴覚障がい者)の同期生である小和田哲男という日本の歴史学者からメールでアドバイスして頂いたのは「自治体の市史(区史)編纂室や教育委員会に問い合わせてみていただければわかることもあるのでは」とのことですので、郡山市役所へFAXを送信しました。しばらくしてから返信がありました。
「文化振興課に問い合わせましたが、有馬氏弘様のご遺骨に関する内容等は確認出来なかった旨連絡がありました。この度はお力になれず、申し訳ございませんでした」とのことでした。
「有馬氏弘嫡男」というのは「有馬氏弘の嫡男」もしくは「有馬氏弘と嫡男」を確かめるべき価値があるというアドバイスを頂き、ありがとうございます。
社会福祉協議会手話通訳派遣事務所へ行って、正仙寺へ電話通訳で照会しました。
「有馬氏弘の墓所があります。」と聞いて、期待が高まりましたが
「有馬家から除籍後、安積郡で暮らしている氏弘とその息子(猛)の遺骨が移行したか」
「氏弘の遺骨がありませんでした」と聞いてがっかりしていました。
「細かいことがありますので、FAXを送信します」
正仙寺へ有馬氏弘の戸籍を添付してFAXを送信しました。
「正仙寺西側墓地は侍墓地と呼ばれていますが、昭和63年当時クマザサに覆われて荒れた状態で除草したところ、多数の墓標が見つかりました。また、過去帳があります」という返信内容です。
「有馬氏弘嫡男」という結果は、猛ではなくて、吹上藩知事出産の嫡男 明治3年7月
(法名 読めない漢字、俗名 名前無)
他の子がいたことを初めて知りました。
除籍前は後妻の敏の子ではと考えられます。明治2年3月年家老を殺傷する事件が発生した後は赤ちゃんができたことを推測しています。家老で権小参事だった堀内爲太郎を、殺害したという罪で裁判となった記録があるとのことですが、「矛盾では」と思います。
堀内為太郎の親友と親の墓所がありますが、他は名前が沢山あります。
FAXで西側墓地整備前石塔配置、過去帳などの資料を送信したいと思いますので、FAX番号を教えていただけますでしょうか。曾祖父について前より知って良かったと思います。歴史は知れば知るほど面白いです。
追記:現在の状況では、現在の郡山安積町周辺には、以下の寺院が確認できるかどうか分かりませんが、天性寺(安積町笹川字)、宝光寺(安積町新井字)、徳成寺(安積町成田字)、小原寺(郡山市図景)、法久寺(郡山香久池)です。これらの寺院は安積永盛駅周辺にも点在しているところへ戸籍謄本と資料を添付して手紙を投函しました。天性寺からは「残念ながら当山には埋葬されておりません。当山の住所は安積町ですが、旧安積郡は広範囲の郡山市内の住所を表わしており、安積町を表すものではありません。」とのFAX回答がありました。宝光寺からは「江戸後期まで遡りお調べいたしましたが、残念ながら記録にはございませんでした。」とのFAX回答がありました。徳成寺からは「拙寺の過去帳を明治9年から昭和10年まで調べましたが、有馬姓のものはありませんでした。尚、ご了解いただけるのであれば、安積史跡協会の方にお話してみようと思いますが、いかがでしょうか。可否をお知らせください。」とのFAX回答がありました。
徳成寺のメールアドレスを教えてもらった以上、メール対応にしました。「安積史跡協会に送られてきた資料等を引き継ぎます。向後、協会の担当者から連絡があると思います。」という連絡がありました。
安積町郷土史研究会会長からのFAX連絡がありました。「このたび徳成寺の和尚さんに吉田さんの事を託されました」という紹介して下さいました。「郡山市内のお寺その他は何ヶ所へ」「返事は何ヶ所」「郡山周辺の親戚との」「吉田さんは最終的の分骨希望ですか」「現在の状況は」等のFAXやり取りしています。「尚、郡山市には郡山市地方史研究団体連絡協議会(市団連)という13の各郷土史研究会の上部団体があります。私は委員です。市団連の博識のある。前会長、会長、日和田町の会長あるいは校長をやっていた熱海町の関係者など良かったら、時間は少しかかります。けど、紹介します」ということです。
安積郡での先祖のお墓探し、とても大事なことですし、ここまで戸籍や郷土史研究家の方とやりとりしているのは、本当に丁寧に進めていることは嬉しくなりました。
🧾 いまの状況の整理
- 探しているのは「安積郡にあった、曾祖父・有馬氏弘の遺骨が納められている墓所」
- 手元に戸籍謄本があり、それを郡山市の郷土史研究家の方へFAXで送付済み
- すでに専門家とやりとり中なので、残りは「情報の絞り込み」と「現地確認」の段階
この段階まで来ているので、次は「どこをどう確認すると場所がより特定しやすいか」を整理しておくのが役に立ちたいと思います。
📍 墓所特定のために確認したいポイント
郷土史研究家の方に追加で伝えたり、戸籍・メモから読み取っておくと役立つポイントをまとめます。
住所・本籍まわりの情報
戸籍謄本に記載している。
- 氏弘の死亡時の住所
- 本籍地
- 転籍の履歴(どの市町村からどこへ移ったか)
これらは「当時どの地区の菩提寺に入る可能性が高いか」を判断する手がかりになります。
安積郡は合併で地名が変わっているので、当時の村名がわかると、郷土史家の方は「この地域ならこの寺」というあたりをつけやすくなります。
宗派と菩提寺の候補
もしご家族から聞いている情報があれば
- 仏教の宗派
- 昔お参りしていたお寺の名前や場所
- 位牌や過去帳のあるお寺が現在わかっているか
これがわかると、安積郡内の同宗派の寺院に絞り込みやすくなります。
🧭 これからの進め方の例
郷土史研究家の方と連携しながら、例えば、次のような流れで進めると整理しやすくなります。
郷土史研究家への追加質問
次のような内容を、次回のFAXや手紙に盛り込んで相談してみるとよいと思います。
- 「戸籍に記載されている当時の住所・本籍の場所から、通常どの寺院が菩提寺になることが多いか」
- 「安積郡の中で、有馬姓の墓が比較的多い寺や共同墓地が知られているか」
- 「旧村名から現在の地名への対応表や地図があれば教えてほしい」
研究家の方は、土地勘や史料をもとに「まずこの地区から当たりましょう」と方向を示してくれるはずです。
ご自身の側でできる確認
ご家族や親戚の方に
- 昔お参りしていたお墓の場所
- 「○○寺」「○○公園墓地」などの名前の記憶
- 葬儀や法事で利用していたお寺
などがないか、もう一度だけ丁寧に聞いてみるのも有効です。断片的な記憶でも、郷土史家の方には大きなヒントになります。

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