追記:「少し有馬氏弘について調べると、除籍した際に平民となっていたようで、家老殺害への関与疑いで一時捕縛されますが、時効の為に免じられて釈放されたとのこと」ですが、母は「子供の頃、福島に住んでいる曾祖父邸へ遊びに行ったことがあります。廊下が入り組んでいて迷いやすいほど大きな家だった」ことをよく耳にします。平民に合ってないようですが、華族のまま若しくは士族ではと考えられます。
色々とありがとうございました。
有馬氏弘のお墓の難易度は結構高いとのこと、了解いたしました。
銀行から母の相続依頼書があった為 川口市役所(埼玉県では母の出生から死亡までの戸籍謄本で有馬氏弘という名前が明らかになりました。母は曾祖父のことを聞いたことがあります。福島県はどの藩にお務めたかということが解らないそうです。この名前を聞きませんでした。有馬氏弘のことをネットで調べてみると12歳で跡を継がれたのはすごいと思いました。
有馬氏弘の没年につきましては、郡山市役所に死亡届があるのではと考えれらます。
また何か発見することがありましたら、メールを頂ければ幸いです。
お世話になっております。
曾祖父の有馬氏弘をもっと知りたいことが沢山あります。
・信濃岩村田藩主内藤正縄の次男として生まれ旗本有馬家の有馬則国(左京)の養子となりました。その子に有馬氏弘(次男)です。氏弘はどこで生まれましたか。
・最後の藩主氏弘は有馬家から除籍された理由は何かありましたか。
・有馬氏弘は郡山市史によると、熱海町下伊豆島の小学校の校長だったとのこと、着任、退任は西暦何年ですか。
・ネットで華族家記・有馬氏弘(国立公文書館)という薄冊が見つかりました。中身を開くことが出来ない状態です。有馬氏弘の字ですか。この内容を知りたいです。お手数をおかけいたしますが、この内容を要約して頂ければ、嬉しいです。
除籍前は有馬氏弘の子供に恵まれないようです。除籍後、娘は一人っ子のようですが、まだ調べないとわかりません。祖母は2回目の結婚していました。
1回目は主人(兄)子(4人)、病気の為、死亡、5年後、祖母は再婚しました。
福島県安積郡郡山町字稲荷51番地(郡山駅の近くに)
2回目は主人(弟)子(5人)→母は末っ子です。
東京府北豊島郡王子町大字1165番地
有馬氏弘の孫は9人いたようですが、皆、他界されました。
「駆け落ち結婚した」「大名のお姫様」という祖母のことをよく耳にしたイメージがありましたが、実際は違いました。
従姉からの情報では郡山駅の近くに大きな寺に〇〇家凄い立派なお墓があるそうです。寺の名前を忘れたそうです。有馬氏弘は関わりがあるかと思っています。今年5月は裏磐梯高原ホテルに泊まりに行く前は、お墓参りに行く予定です。
よろしくお願いいたします。
判る範囲で・・・
・氏弘はどこで生まれましたか。
>嘉永3年生まれという事は判っていますが、
どこで生まれたかまでは不明です。
・最後の藩主氏弘は有馬家から除籍された理由は何かありましたか。
>家老で権小参事だった堀内爲太郎を、
殺害したという罪で裁判となった記録があります。
この裁判記録は[明治初年の世相]にあり、国立国会図書館のデジタルコレクションで、
下記のURLで確認できます。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1192767/1/223
また公的には手足の麻痺等の病気により、
隠居して実家に復籍しています、
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000001011&ID=&NO=62&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf
・小学校の校長だったとのこと、着任、退任は西暦何年ですか。
>これについては表に記載されているのみで、
詳しい事は不明です。
下記のURLに記載があります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642403/1/360
・ネットで華族家記・有馬氏弘(国立公文書館)という薄冊が見つかりました。中身を開くことが出来ない状態です。有馬氏弘の字ですか。この内容を知りたいです。お手数をおかけいたしますが、この内容を要約して頂ければ、嬉しいです。
>活字ではないので詳しくは読めませんが、
藩の公文書の発行記録のようです。あまりお役に立てず申し訳ありません。
追記:殺害の件ですが重傷を負わせて、死に至らしめたとのこと。
病弱で手足不自由であったのが、隠居と離籍の理由らしいので、相手は武士ですしそんな人に殺人は可能なのか?結局この件は無罪となっていますし、疑問点が多すぎて謎だらけです。
吉田 由起子2025年1月29日 12:48 AM
ご返答ありがとうございます。
重傷を負わせ、死に至らしめたとのこと、大変ショックを受けました。
家老で権小参事だった堀内爲太郎を、殺害したという罪で裁判となった記録があるとのことですが、この裁判記録は[明治初年の世相]にあったことを読んでも理解できない部分があります。堀内爲太郎の母親は裁判に持ち掛けたでしょうか。
病弱で手足不自由であったのが隠居と離籍の理由らしいとのこと、理解しています。
有馬氏弘の没年不明ですが、戸籍謄本の上では、祖母の2回目の婚姻届は大正3年(1914年)です。
祖母の父(有馬氏弘)と母は生きているようですが、主人の両親が亡くなりました。
計算してみると、有馬氏弘は64歳のようで生き延びたと思っています。
それ以降、わかりません。
よろしくお願いいたします。
母親ではなく妻のようですが、(堀内保親←息子?の母)どうも彼女が訴えたのではなく、
何らかで発覚したという事のようです。それで氏弘と爲太郎の妻が裁かれ、氏弘は時効で無罪、
爲太郎の妻は9円の罰金となりました。殺伐とした幕末維新期の事、尊皇佐幕等の思想の違い、藩政の方針云々と、色々と理由もあるかもしれませんので、現代の感覚で考える事は出来ません。
あまりショックがる事は無いと思います。
📘 出典「明治初年の世相」と有馬氏弘
横瀬夜雨の著作「明治初年の世相」は、明治維新直後の世相や事件を新聞・記録などから拾い集めた本で、図書館や研究機関の目録にも登録されている歴史資料です。(sanko-bunka-kenkyujo.or.jp)
インターネット上では、この本の中に「有馬氏弘」に関する裁判記録が収められている、という趣旨の紹介が個人サイトで言及されています。そこでは有馬氏弘に関する裁判記録は「明治初年の世相」にあるが、内容が難しくて理解しきれていないという形で触れられており、実際にその本を元に検討しようとしている様子がうかがえます。(access21-co.xsrv.jp)
ただし、この個人サイトでは裁判記録そのものの全文や、条文レベルの詳細な引用までは掲載されていません。
⚖ 裁判記録の中身について言えること
現時点でウェブから直接読める範囲では、
有馬氏弘に関する裁判の「事件名」「具体的な訴因」「判決文の全文」といったレベルの詳細情報は公開されておらず、「明治初年の世相」の紙の本か、所蔵図書館のデジタル画像を確認する必要があります。
裁判の時期としては、書名が示すとおり「明治初年」、つまり明治元年から数年間の間に起こった事件を扱っており、当時の司法制度がまだ完全に整っていない過渡期の訴訟として紹介されている可能性が高いと考えられます。これは、同時代の地方裁判の研究でも「明治初年の裁判は近世的な慣行が強く残っていた」と指摘されていることからの推測です。(jstage.jst.go.jp)
ただし、「有馬氏弘のどのような行為が争点だったのか」「有罪だったのか無罪だったのか」「どの裁判所で扱われたのか」といった部分は、手元で原本を確認しないかぎり、断定的には述べられません。
明治初年の裁判の中身、どこが争われたのか気になっています。
⚖ 争点について分かっていること
結論から言うと、現時点で公開されているウェブ情報だけでは
有馬氏弘の裁判で「具体的に何を巡って争われたか」という争点の中身は特定できません。
インターネット上でこの裁判に触れているのは、主に吹上藩有馬家を扱った個人ブログで、そこで「有馬氏弘に関する裁判記録は『明治初年の世相』にあったが、読んでも理解できない部分がある」とだけ紹介されています。裁判の条文名、罪名、事件の内容など、肝心の争点は書かれていません。(access21-co.xsrv.jp)
一方で、同じブログや有馬氏一族の紹介では、吹上藩第十代藩主(吹上藩二代)有馬氏弘が、幕末から廃藩置県をまたいだ時期の藩主であったこと、
明治九年十二月に養母の鎮へ家督を譲り、有馬家と離縁していること、
過去の家老殺傷事件など、有馬家周辺の「事件」が存在したこと、
といった周辺事情が語られています。(access21-co.xsrv.jp)
ただし、これらは「氏弘個人の裁判で争われた内容」とは別物で、
どの事件が裁判になったのか
民事なのか刑事なのか
当事者は誰と誰なのか
といった点は、現時点のウェブ情報では確認できません。
📚 争点を知るための現実的なルート
争点をはっきりさせるには、「明治初年の世相」の該当箇所そのものを読む必要があります。
日本国内であれば、次のルートが現実的です。
- 最寄りの図書館で「横瀬夜雨『明治初年の世相』」の所蔵を検索してもらう
- 所蔵がなければ、相互貸借か複写サービスを依頼し、
有馬氏弘の名前が出る裁判記録のページをコピーしてもらう
さらに深く調べる場合は、栃木県立文書館など、公文書館が所蔵する「有馬氏弘家記」などの関連史料も手がかりになります。(pref.tochigi.lg.jp)

コメント
ブログ開設おめでとうございます。
拝見させて頂きました。
これからも頑張って下さい。
読んで頂き、ありがとうございます。
曾祖父の足跡をたどる作業は大変ですが、頑張ります。
ブログの操作はまだ慣れていないので、少しずつ慣れていくようにしたいと思います。