歴史研究家・庄司さんのメールと曾祖父有馬氏弘の墓所発見への感謝

2026.8.13 特報記事

 曾祖父・有馬氏弘の足跡をたどる調査のなかで、私にとって大きな支えとなってきたのが、郡山在住の歴史研究家・庄司さんから届くメールである。安積開拓の基本文献や、現地で見るべきポイントを、その都度ていねいに教えてくださり、ときには厳しく、ときには温かく背中を押していただいてきた。
 2026年7月18日、庄司さんから届いた一通のメールが、長く続いた墓所探しに一つの区切りをもたらした。山清寺から濁池、そして鶴番共同墓地へと足を運んだ庄司さんが、そこで曾祖父・有馬氏弘の墓を「奇跡的に」見つけてくださったという知らせだった。
 この章では、そのときの庄司さんからのメールの内容と、そこに込められた思いや助言を振り返りながら、曾孫としての私が抱いた感謝の気持ちを、あらためて言葉にしておきたいと思う。

本文

 2026年7月18日土曜日、庄司さんはまず山清寺を訪ね、熊田住職に挨拶をされたあと、本堂の前から境内を一回りして、寺の背後に広がる田畑と対面原の方向を確かめてくださったという。山門を出ると、夏草の匂いがむっと立ちのぼり、アスファルトの上には真昼の陽射しが白く揺れている。田んぼの水面には雲の切れ端が映り、遠くで軽トラックのエンジン音が途切れ途切れに聞こえるだけで、人影はほとんどない。

 山清寺をあとにした庄司さんは、濁池のようすを確かめるために小さな坂道を下り、溜め池の縁まで歩いていった。水面は風もなく、ところどころに浮かぶ藻が鈍い緑色に沈んでいる。かつて19世紀末の安積開拓で対面原の開墾に使われた水が、この池からも引かれていたことを思うと、静かな水面の下に、入植者たちの息づかいがまだ残っているように感じられる。その濁池を背にして振り返ると、わずかに高くなった先に、鶴番共同墓地のこんもりとした木立が見える。庄司さんはその方角を目印に、ゆっくりと坂を上っていった。

 鶴番共同墓地の入口に立つと、土の道の両側に、さまざまな家の墓石が不規則に並んでいる。新しい花のある墓もあれば、苔に覆われて刻字が読みにくくなっているものもある。木立の間を抜ける風が、枯れ枝をこすり合わせるような音を立て、ときおり足元の砂利が小さく鳴る。庄司さんは一基ずつ、石の表面を指先でなぞるようにしながら、慎重に名前を確かめていった。そうして鶴番共同墓地の中を丁寧に見て回るうちに、これまで場所が分からなかった曾祖父・有馬氏弘の墓を、まさに「奇跡的に」見つけ出してくださったのである。

 この発見の背景には、私自身が読み込んできた文献の存在がある。高橋哲夫著『安積野士族開拓誌』(安積野開拓顕彰会、1983年)に収められている対面原入植者名簿のページをコピーし、それを手がかりとして対面原の共同墓地を歩いたことが、決定的な準備となった。名簿の紙片には、対面原に入った士族たちの名前がびっしりと並んでいる。そのなかから横溝庄作の名を探し出し、現地の墓石に刻まれた同じ名前と照らし合わせることで、有馬家の墓所がどの一角にあるかを絞り込むことができたのである。

 名簿のコピーは、いまでも折り目が白く筋になって残っている。風でめくれそうになる紙を片手で押さえながら、もう片方の手で墓石の刻字をなぞる。紙の上の「横溝庄作」という活字と、苔むした石に刻まれた同じ名前とを、視線で何度も往復させた。名簿に並ぶ活字の列は、そこに眠る人びとの現実の重さの前で、急に立体感を帯びてきた。あの一枚がなければ、この共同墓地の中で有馬家の墓所の位置を絞り込むことは、まず不可能だっただろう。コピー用紙の端に指の跡がつくほど握りしめながら歩いた時間が、庄司さんの現地踏査と重なり合って、曾祖父の墓への一本の道筋になっていったのである。

 庄司さんからのメールには、現地でのようすが簡潔に記されていた。2026年7月18日土曜日に山清寺を訪ね、熊田住職に挨拶を済ませたあと、濁池の水面を確かめ、そこから鶴番共同墓地へ向かったこと。共同墓地では、一基一基の墓石の名前を丹念に読み取りながら歩き、これまで場所が分からなかった曾祖父・有馬氏弘の墓を、ようやく見つけ出したこと。その一連の行程が、数行の文面に静かに書き込まれていた。

 メールの最後には、安積開拓の文献をしっかり読むことの大切さが、あらためて強調されていた。とくに高橋哲夫『安積野士族開拓誌』(安積野開拓顕彰会、1983年)に収められた対面原入植者名簿を手がかりに、現地で横溝庄作の名を探し当てたことが、今回の墓所発見に直結しているという指摘である。私が名簿のコピーを握りしめて共同墓地を歩いたことと、庄司さんの現地踏査が、文献と土地のあいだをつなぐ一本の線になっていたのだと、そのメールを読みながら静かに思った。

 庄司さんのメールは、感謝の対象であると同時に、私自身への問いかけでもあった。曾祖父の墓が見つかった今こそ、安積開拓の歴史と氏弘の足跡を、これまで以上に丁寧にたどり直すべきではないか。関係する本を読むという「最低限必要なこと」を、これからも続けていく覚悟が、自分にあるのかどうか。その問いをかみしめながら、私はメールの画面を何度も読み返した。

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